2014/03/29

省力化と農具改良

リーマンさんが『コストが掛からない「農業の自動化」』について言及している。自動化は言うまでなく Automation の訳語であろう。科学の言葉同様,外来語だ。これとは別に,省力化という言葉もある。

農業においては,化学コンビナートのような自動化は可能かもしれないが,コストが掛りすぎ無意味だろう。といって省力化は進められてきた。例えば私が子供の頃,田植え稲刈りは人手が当たり前だった。伝統的な田植え稲刈りを重要視されるのは今では皇室と教育委員会くらいだろう。

あぜの草刈も小型エンジンに置き換わった。有機農法は投入労力が大変だとされる。化学肥料に比べ,大量の施肥を施さなければならない。農作業の機械化省力化はまだまだ改良の余地があるのではないかと思う。それには創意工夫が必要だ。

太平洋戦争中,占領した米軍飛行場の穴ぼこの滑走路の修復に米軍工兵が直ぐ補修できると言って,やらせたら機力であっという間に穴を埋めた。その機械を現場の日本海軍はブルドーザと知った。東京では信じられなく,当時の風邪薬のブルドーゼと掛けて信用しなかった。このような建設機械は大いにアメリカで発展したのだが,実は農機に由来するものが多い。アメリカの農民は農機を著しく発展させた。現代のIT革命も自由農民の末裔なのだ。太平洋戦争は単に日米の軍事対立ではなく,農業文化も含めた文明の衝突だった。

母は戦時中,弟が徴兵され馬耕の経験がある。何故かスキとは呼ばずプラウと英語読みだった。暖をとるにも伝統的な囲炉裏を捨て,ストーブを採用した。役に立つならいろいろな道具を取り入れるのは功利主義として嫌われる向きもあるが競争があれば歓迎されるのではないか。投資に見合う収益が見込めればいいのだろう。西国の農民は絹糸が国際競争力があると見抜き,養蚕に諸々の改良を加え,やがて最高級品の伊仏中の産品を凌駕した。英米の資本家は単にロシアの南下を抑止するため日本の国債を購入しただけではなかった。当時,勃興していた日本の絹産業に見込みがあるからこそ投資した。

江戸期に大きな農業革新が起きた以降,何故か日本人は農法の革新に情熱を失い,農具の改良を止めた。戦国期には世界最大の銃器保有国でありながら,元和以降その武具の改良を止めたのと同じ原理が働いたようだ。そして日本人は手先が器用なせいか,道具の改良よりも手技の習熟に熱を入れる傾向が強いようにみえる。

これからの農法は人手が余剰だった時代と異なり,労力をいかに掛けずに済むかが大切なのではなかろうか。都市国家でない限り,農業は国家の基本だ。ECのなかで南欧と英国がパッとしないのは農業が不振なせいもある。

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